日中関係 2013 4 7
依然として、凍りついたままの日中関係については、
その解決は、難しいものがあります。
2012年9月26日の読売新聞には、このような記事がありました。
「反日デモの暴徒化で、
複数の工場が大きな被害を受けた松下電器産業(パナソニック)は、
日中国交正常化後、最も早く中国に進出した日本の主要企業で、
中国の近代化の一翼を担ってきた。
きっかけは、来日したケ小平氏(当時は副首相)が、
テレビ工場を見学した1978年10月にさかのぼる。
音声多重のカラーテレビなどに強い関心を示したケ小平氏が、
『技術・経営面での援助をお願いしたい』と中国進出を要請。
案内役だった創業者の松下幸之助氏が、
『できる限りのお手伝いをします』と快諾した。
松下幸之助氏が1979年に訪中し、
同年には白黒テレビのブラウン管製造設備を輸出して技術協力を開始し、
1987年には北京にカラーブラウン管の製造会社を合弁で設立した。
反日デモは、
日中協力の象徴である松下電器産業(パナソニック)も標的にした。
(以上、引用)
日本人にとって、
松下幸之助は、「経営の神様」という存在です。
「経営の神様」が日中友好のために建設した工場を、
暴徒化したデモ隊が破壊したのです。
これは、何度も報道され、
日本人は、大きなショックを受けました。
同時に、日本企業の経営者たちも、
大きな衝撃を受けたと思います。
それほど松下幸之助は、
日本人にとって、大きな存在だったのです。
中国人にとって、毛沢東は大きな存在ですが、
それに匹敵するぐらい、
松下幸之助は、日本では、大きな存在です。